当時の僕は、
自分が生まれ育った町
「紫雲寺町」がなくなることが
とても虚しく、そして寂しかった。
その思いは、
紫雲寺町に暮らす全ての人が、
感じたに違いない。
そして、今回の
「紫雲寺地区、3つの小学校統合」の件。
今回の場合、
統合されるとは言っても
僕の学び舎である
「紫雲寺小学校」は
名前と校舎がそのまま残るとのこと。
つまり今回の場合では、
『平成の大合併』でいう僕の立場は
「新発田市」側である。
しかし
米子小学校と藤塚小学校に通う子供たち、
卒業生、そして、その地域の方々にとっては・・・
2005年と、同じような
「虚しい」「寂しい」気持ちに
なったのではないだろうか・・
そう思うと、
とても胸が苦しくなった。
カサハラ
「そうなんだね。なんか、寂しいね」
父親
「まぁ、紫雲寺地区の子どもの数も減ってきてるし、統合は仕方ないのかもな。あ、それで、これなんだけどさ・・」
そういうと
父親はクリアファイルに入った
1枚の用紙を僕に手渡した。
カサハラ
「これは?」
父親
「実は、今回の紫雲寺地区の小学校の統合に伴って、『新しい紫雲寺小学校』の新しい“校章のデザイン”と、“校歌の歌詞”の公募があるみたいなんさ」
カサハラ
「公募が・・・?」
父親
「普段から地元のために頑張ってるケントだから、もしやる気あったら挑戦してみたらどうだ?」
カサハラ
「・・・・考えておくよ」
僕は、その場ですぐに
「やる」とは返答ができなかった。