<21>~『デジャブ』経由『とんでもない過ち』~&「クイズ大会プレゼント当選者発表!!」 | 新発田出身カサハラケントの 【コラムって何書けばいいんですか?】
2011年、春。僕は、フリーターになった。“勝負のオーディション”で声を掛けてくれた5社からの誘いを僕はすべて断り・・・就職活動をしないまま大学も卒業。養成所での1年間、そして、大学生活の4年間・・結局“何も残らないまま”僕は、新しい春を迎えたのだ。
前回までのあらすじ
2011年、春。
僕は、フリーターになった。
“勝負のオーディション”で
声を掛けてくれた5社からの誘いを
僕はすべて断り・・・
就職活動をしないまま
大学も卒業。
養成所での1年間、
そして、大学生活の4年間・・
結局
“何も残らないまま”
僕は、新しい春を迎えたのだ。
答えの見つからない問い
「俺、芸能目指すの辞めるわ」
“勝負のオーディション”の数日後。
養成所の掲示板で、
その結果を見たときの・・
マーシーの言葉が
ずっと頭を離れない。
「マーシーほどの覚悟をもって、
僕は1年間、頑張れたのだろうか・・・」
「このまま漠然と夢を追いかけたとしても、
その先に何か待っているのだろうか・・・」
「結局、自分が本当にしたいことは何なのか・・・」
皆がそれぞれに
期待と不安の花が咲く4月の日。
僕は、答えの見つからない問いを前にして
ただただ、自問自答を繰り返すことしかできなかった。
“返信なし”
とりあえず、何もやることがなく
そして、
何もやる気が起きなかったので僕は・・
大学時代からのアルバイトを
そのまま続けることにした。
そう、そこは
あの元アイドルの“Nさん”がいる職場。
「笑っていいとも!」に出演したときから
養成所に入るキッカケをくれるまで・・・
Nさんは、
僕のことを応援し続けてくれている。
そんなNさんとは・・
大学と養成所を卒業した、この4月から
僕は、少し距離を置くようになっていた。
「Nさんに会うのが、気まずい・・・」
そうなったのには、ちゃんと理由がある。
実は、あの
“勝負のオーディション”の後、
僕は「5社から声が掛かった」
ということをNさんに伝えていた。
その時、Nさんは
「やったじゃんケント!
これでまた、夢に一歩近づいたわね!本当におめでとう!」
と、自分のことのように喜んでくれた。
が、
そのあと、
僕が「全部断った」とメールで伝えたところ
“返信なし”
そりゃあ、
Nさんが無視するのも当然である。
あれだけ応援してくれて、
支えてくれたNさんの想いを
僕は裏切ってしまった形なのだから。
とまぁ、こういう経緯があり
僕はNさんと
合わせる顔がなく・・・
なるべくアルバイト先でも
顔を合わせないようにシフトを調整し・・・
ひっそりとバイト漬けの
日々を過ごしていた。
そんな時だった。
カサハラケント (笠原賢人)
1988年5月17日生まれ
新潟県新発田市(旧紫雲寺町)出身
2011年、大学を卒業後、
役者・絵描き・クリエイター活動を開始。
役者としては、
主に舞台(40本以上)やCM等で活動。
絵描き・クリエイターとしては、
個人や企業・行政から依頼多数。
横浜の商業施設でのグッズ販売に、
ZeppTokyoで開催されたファッションイベントでは
自身作成のロゴがメイン採用。
2019年には、
地元新発田市の図書館で個展も開催。
また、2018年からは
新発田市と共同でプロモーションムービーを制作。
2021年に高校生とともに企画・制作したCMは
「新潟ふるさとCM大賞」で準グランプリを獲得。
その他にも、
舞台やコントライブの脚本や、
人気バンドユニットの小道具制作など
幅広くクリエイター活動を展開。
将来の夢は、
「新発田で映画を撮る」こと。
そして、全国の人に
「新発田」を「しばた」と
読んでもらえるようになること。