その時の、「虚しさ」「寂しさ」
というモノは、まさに計り知れないものだった。
僕の母校である紫雲寺小学校は
「紫雲寺町立」から「新発田市立」に変わり・・
中学校も同じく
「新発田市立紫雲寺中学校」と変わった。
そして、当然、
実家の住所も変わった。
16年間、書き続けてきた
『新潟県北蒲原郡紫雲寺町・・・』
という、なんとも画数が多く
書くのに煩わしさを感じていた住所も
『新潟県新発田市・・・』
とたった6文字に簡略化された。
小学校の頃、
友達に年賀状を書くようになってからは
『新潟県北蒲原郡紫雲寺町・・・』
という住所が難しすぎて全然覚えられなくて
母親が書いたものをマネして
1枚1枚、四苦八苦しながら書いたものだった。
そして、何年かすると・・
その長々とした住所も何も見ずに
自分の手で書けるようになった。
そのときの喜びというモノは
今でも鮮明に覚えている。
紫雲寺町、
とても愛着のある街。
やはり何年経ってもあの時の
「虚しさ」「寂しさ」というものは
忘れることは出来なさそうだ。
なぜ今になって、
このような
17年前の出来事のお話をするかというと、
実は最近、当時のこの記憶が鮮明によみがえった、
“とある出来事”があったからだ。