僕は脳天を打ち砕かれたような衝撃を受けた。
終了と言われたにも関わらず、
ストレッチレディはまだお風呂に入る演技を続けていだ。
「こ、これが本物の役者というものなのか・・・?」
演技と言うモノの魅力にハマりつつ僕であったが、
「本物」を目にした途端、凄まじい恐怖に襲われた。
只者ではない演出家に、
この只者ではないストレッチレディ。
こんなヤバイ人間が
きっと芸能界にはうじゃうじゃいるのだ。
そんな世界で僕はやっていけるのか・・
果たして通用するのか・・・
そう考えると、
今まで何かとポジティブに考えてこれた僕であっても
底知れぬ恐怖に襲われ、
ネガティブな感情しか湧かすことが出来なかった。
「では、本日最後の審査に入ります。」
そう言いながら、
演出家はスタジオの階段を下りてきた。
参加者のみなに緊張が走ると、
一斉に元居た場所に戻り、
演出家の一挙手一投足に目を向ける。
演出家は審査員席に向かう途中、
中央でお風呂に入り続けているストレッチレディに
「もういいよ」と声をかけた。
すると、ストレッチレディも、
パッと切り替えて、元居た場所に戻っていった。
参加者のみなは
「なんだ?なんだ?」とざわついていたが・・
僕はその理由と、
その凄まじさを理解していた。
そして、
演出家は審査員席につくと
開口一番・・
「では、みなさん、自宅でコーヒーを飲んでください。パン!」
急にそれはスタートした。
「いや、いきなり過ぎるって・・」
本日最後の審査は、
全員一斉に「自宅でコーヒーを飲む演技」となった。
演出家の「パン」と同時に、
しっかり準備を整えていた参加者たちは
すぐに頭を切り替えて
自宅でコーヒーを飲む演技をスタートする。
まだ動揺が収まらない僕は
みんなの様子をチラチラと横目で確認する。
コーヒーを飲んで美味しそうな
表情をする演技の人もいれば・・
熱々のコーヒーを飲んでいるのか、
ふーふーと冷ましながら飲む人に・・
さらには一気に飲み干す人など・・
みな、様々だった。
「みんな即興であんなに出来て凄いな・・・」
そう思いながら僕も
コーヒーを飲む演技に取り掛かろうとするものの・・
あることに気が付く。
「やべぇ、普段あまりコーヒー飲まないから、
どうやって良いかが分からない。」
うわぁ、どうしよう・・
僕は、演技を始めることが出来ず、
その場に座ったまま考え混んでしまった。
どうしよう・・
どうしよう・・・
どうしよう・・・・
そして、しばらく考えた結果・・
コーヒーではなく
“麦茶”を飲むことにした。
「“コーヒーの飲み方”が
よく分からないと、きっと上手くできないし・・
コーヒーも麦茶も同じ飲み物だから、
きっとそんな事情までは、演出家にもバレることはないだろう!」
と踏んだからだ。
という訳で、みんなに遅れること数十秒・・
僕も「自宅でコーヒー(麦茶)を飲む」
演技を始めることにした。
「うーん、そしたら麦茶を飲む状況としては・・」
ただ飲むだけではさっきの
「お風呂に入る」ことと同じだ。
きっと、また長時間演技を求められるだろうから・・
しっかりとバックグラウンドを考えてやってみることにした。
という訳で、
まずは、自宅で麦茶を飲む状況を想像。
「まずは冷蔵庫から麦茶の入ったボトルを出してから、コップに注いで・・」
僕は普段のままに、
その順序で演技をしていった。
「コップにいれた麦茶を一気に飲み干したら、
冷蔵庫にボトルをしまって、コップを流しに置いて・・・・・
飲み終わったら、いつもどうしてたっけ?」
僕はゆっくり普段の感じを思い出しながら
家の中で過ごす演技を続けてゆく。
・
・
・
「あ~、そっか。
夜寝る前によく麦茶を飲むから・・
この後は”就寝”だな・・・」
僕は歯を磨き、顔を洗って、布団にもぐる、
という、
寝る前のルーティーンを再現するように演技を続けた。
布団にもぐると
「あ~そうだ。布団に入ってからはすぐに寝付けないから・・
いつも携帯見ちゃうんだよな~」
僕はスマホを取り出すと横になりながら
いつものようにネットニュースを見たり、動画を見たりした。
「はぁ~、眠くなってきたな~・・」
僕はスマホを枕元に置いて、目を閉じた。
だんだん意識が薄らいでゆく。
体の力が抜けてゆく。
・
・
・
・
・
演出家
「パン!はい終了」
僕
「ハッ!!」
僕は一瞬意識が飛んでいた。
いや・・
完全に寝落ちしていた。
「やべぇ・・何してんだ、俺・・」
壁掛け時計を見てみた。
「え?!もう30分も経ってる!?」
「自宅でコーヒー(麦茶)を飲む」
演技をやるつもりが、
その大半の時間を
“居眠り時間”に使ってしまうという・・
これ以上ない失態を・・
僕は犯してしまった。