多くの新社会人が第一歩を踏み出す希望に満ちた春。しかし、地方にとっては“人口流出の春”でもあります。
若者はなぜ東京を目指すのか……
そして地方での就職を選択肢に入れてもらうために何が必要なのか。
この春、新潟から旅立つ若者を取材しました。
それぞれの新生活へ旅立ちの日を迎えました。2025年3月、約3000人が出席した新潟大学の卒業式。県外での就職を選んだ卒業生の本音を聞きました。
【広告会社へ就職する学生】
「県外に出て広告会社に勤めます。ずっと新潟にいたので少し県外も知りたいなというところがあって。新潟の“好きさ”を再確認しに行ってきます」
【化粧品メーカーへ就職する学生】
「東京で化粧品メーカーに営業として勤めます。ずっと22年間新潟にいたので一回外の世界を見てみたいなというので冒険に行きたい」
視野を広げたいという意見がある一方で、こんな理由も……
【NPO法人へ就職する富永愛さん】
「卒業後は東京に上京して教育関係の仕事に就くことになりました。私がやりたいことが今東京でしかできないことだったので」
目指す分野が東京など大都市でしかできない……そう話す富永愛さん……。
4年間通った教育学部では小学校と中学校の教員免許を取得しました。
【NPO法人へ就職する 富永愛さん】
「子どものころ、やりたいことがあっても、言えなかったことがあったので、じゃあ教育学部で子どもとのかかわり方とか教え方を学んで、自分も子どもたちの自己肯定感とかやりたいことに素直になれる、みたいなところを応援できたらいいなと思って」
大学に入学する前、漠然としていた教育分野への興味はサークルでの活動で具体的なものになりました。遊びを通して子どもたちと成功体験を共有する……子どもたちの感動を間近に感じることができました。
【NPO法人へ就職 富永愛さん】
「例えばドミノを2万個並べてみようとか。ピタゴラスイッチ(の装置)を1人1個作って30人全員で1つにつなげてビー玉を止まらずに流してみようとか」
サークルでの活動を社会でも実現したい……放課後の過ごし方をサポートするアフタースクールの活動に興味を持つようになりました。
【NPO法人へ就職 富永愛さん】
「大きな都市、街の方が、今は人も多くて、ノウハウもあって、経験できる場所が整っているっていうところでは、新潟に残る道っていうのが狭いのかなって、まだ。感じましたね」
国が発表した人口移動報告によると新潟県は2024年、転出が転入を上回る「転出超過」となり、その数は5782人と全国で9番目の多さです。
一方、全国で突出して「転入超過」となった東京都。その数は7万9285人です。
こちらは、年代別で県内の人口の移動を表したグラフです。
黒いラインより上が「転入超過」、下が「転出超過」を表しています。
男女ともに10代、20代の若者の転出が目立っています。
上越市出身の富永さん。新潟市のアパートを引き払い、残りの春休みは地元・上越市で過ごすため家族と引越し作業に追われていました。
【父・暁さん】
「4年前のこの時期にこちらに引越してきてから、あっという間に4年が経ちまして地元に就職してくれるとうれしかったんですけど…」
【母・千春さん】
「もう本当に気持ちが強い子なので、頑張れって応援するだけですね」
大学時代には月に1度帰省していましたが、東京での仕事が始まると次に実家に帰るのはいつになるのか……
大好きな新潟での暮らしも、あとわずかです。
雇用の創出……行政も動き出しています。
この春、JR新潟駅前の新たなオフィスビルに首都圏などのIT企業7社が拠点を構えます。市は、これらの企業に年間で最大5000万円を補助。若者にとって魅力ある雇用を生み出すことが狙いです。
そのお披露目会に招かれたのが市内の学生たち……。学生と企業が参加するワークショップが開かれました。
自分が目指す社会人像について考えを出し合います。
【新潟大学の学生】
「技術の人でも法律のことわかるとか経理のことわかるとか、逆もしかりで。という方が僕の理想に近いイメージで」
【IT企業の社員】
「うちの会社は特化してる人材が多くて、特化してる同士で部署を組んで、 そのリーダーで他部署の人と打ち合わせをして仕事を進めている感じです」
出された意見は、新しいことへの挑戦や高収入、地元に貢献したいなど、様々です。
【新潟大学4年生 伴 海羽さん】
「もともと東京とか関西、関東とか大きい企業がある所に 行こうと思っていたが、今回のイベントを通して新潟という選択肢もちょっとずつ自分の中で大きくなってきたと思います」
【新潟大学3年 金子 史彦さん】
「有名な企業、有名な技術を持っている企業の名で調べると 東京に行き当たるところで、県内でもおもしろいことができるということを知ることは、 少なくとも学生、私にとっては とても有意義だなと思っています」
【新潟大学4年生 前田 海人さん】
「新潟は何もないと言われがちで 学生の中では。すばらしい大人たちがいると思うので、そういう方たちと触れ合える環境さえあれば、学生はもっと新潟に就職しようと思うと思います」
東京での就職を選んだ上越市出身の富永愛さん。
上京前、最後の夕食……卒業祝いも兼ねてごちそうが並びました。
【祖母】
「ママの手料理も食べられなくなっちゃうよ」
【富永愛さん】
「ママに来てもらって作り置きしてもらって!」
【父・暁さん】
「東京は怖い所だから気を付けてください(笑)いろいろ新たなチャレンジの場所でもあったりするんで、それは本当に楽しみながら頑張ってほしいと思います」
富永さんは長女として生まれ、弟たちの面倒もよく見てくれたと言います。自分の道を力強く切り開こうとしている我が子は、あの頃よりまぶしく映っていました。
【母・千春さん】
「頑張ってほしいって応援するだけなので。愛(娘)を信じて。行って来てって言う気持ちでいっぱいです」
【富永愛さん】
「頑張ります!(上京を)受け止めてくれたのはやっぱり大きいなと改めて思ったので、就職してからも、お正月だったり、お盆だったり、帰省して『ありがとう』って伝えたいと思います。知識であったりスキルであったりそういうのを得てからいずれ戻って来たいなと思います」
上京する日の朝……。
地元・新潟を離れるのはさみしいけれど東京に自分が手に入れたい知識や経験がある……
【富永愛さん】
「じゃあね」
【父】
「気を付けてね」
【母】
「風邪ひかないように」
【富永愛さん】
「また泣きそう」
【母】
「本当に気を付けていってらっしゃい」
【父】
「……いってらっしゃい」
【富永愛さん】
「また(新幹線に)乗ったら連絡するね」
葛藤を胸にまた一人、若者が旅立ちました。