完全ヤンキー
「まぁ、単純なことやけどな~」
カサハラ
「はい・・・」
完全ヤンキー
「”コミュニケーション”やな」
カサハラ
「コミュニケーション・・・」
完全ヤンキー
「やっぱりな~、一つの作品を大勢で作っていく中で、コミュニケーションってのは、ホンマに大切なもんなんや~」
カサハラ
「・・・はい」
完全ヤンキー
「そしてな、コミュニケーションは作品づくりだけやなくて、芝居でも、ホンマに重要なキーになるんやで」
カサハラ
「重要なキー?」
完全ヤンキー
「そや。ケントは今な、神谷椎太郎ってキャラクターを模索するために、自分の中の奥深くまで潜り続けてる、そんな感じやろ?」
カサハラ
「確かに、その通りです・・神谷椎太郎として”そこに立つ”ことができるように、ずっと考えて、考えて、ずっと悩み続けてる感じです・・」
完全ヤンキー
「それは、“役作り”においては重要なことや。でもな、芝居っちゅうもんは、”相手がいて成り立つ”もんや」
カサハラ
「相手がいて・・?」
完全ヤンキー
「せや。一人芝居やったら話は別やけど、基本的に芝居も“相手との会話”、つまり”コミュニケーション”のもとに成り立つもんなんやで」
カサハラ
「なるほど・・」
完全ヤンキー
「まぁ、確かに台本ありきのセリフやと、セリフを掛け合うだけで形式上の”会話”自体は成立するかもしれへんけど、やっぱりその会話の中に”コミュニケーション”が存在するかどうかで、その役者同士も、見てる人も、スッと受け入れられるものになるかどうかが変わってくるねん~」
カサハラ
「スッと受け入れられる、ですか?」
完全ヤンキー
「たまに見かけへんか?ドラマや映画で、『なんかこのシーンぎこちないなぁ~』みたいな場面」
カサハラ
「確かに・・たまに見かけることはありますね・・」
完全ヤンキー
「それはな、もちろん役者の力量ってもんもあるんやけど、結局一番の原因は”自分のやりたい演技”だけをする役者がおるからやねん~」
カサハラ
「自分のやりたい演技?」
完全ヤンキー
「まぁ、悪気はないと思うねんで。しっかり台本読みこんで、準備して、作品の世界観をイメージして、自分で作り上げて~・・・。でもな、結局演技は“相手がいて成立”するもんや。相手とのコミュニケーションが取れてへんから、一人よがりな、ぎこちない芝居になってしまうんや。そうなったら芝居する相手も可哀そうなもんやで~」
カサハラ
「なるほど・・」
完全ヤンキー
「今ケントはな、どっちかというと神谷椎太郎のキャラクターを深く掘り下げようとし過ぎてて、目の前の相手を見れへん状態になってるんや~」
カサハラ
「うっ・・・そう言われれば・・・」
完全ヤンキー
「せやからな。まずは相手を見る、その空間を見る。そしたらな、ポロっと、自然なセリフも出てくるかもしれへんな~」
カサハラ
「・・なるほど!・・・ありがとうございます!!」
完全ヤンキー
「ええでええで~。ケント、俺と飯、食いに来てよかったやろ?」
カサハラ
「・・・は、はい(笑)」
完全ヤンキー
「やから、こういうコミュニケーションも大事なんやで~」