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【ポテンシャル②】石田健×ニイガタ老舗 「一番古くて一番新しい器の物語」震災を越えた一枚 石に宿る絆

暮らし

2026.03.30

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コメンテーターの石田健さんが新潟の老舗企業の可能性に迫るシリーズの後編、新潟市古町地区の洋食器店についてです。

卸売りから自社開発へ・・。
最初の食器として目を付けたのが
宮城県石巻の天然石でした。
しかし本格的な生産を目前に 東日本大震災が発生。
困難の中で完成した食器には職人たちの思いと信念が宿っていました。
深い漆黒の食器。
習字のすずりに使われる宮城県石巻市の天然石でできています。

新潟市古町地区の「大橋洋食器」。
創業家の星野まどかさんです。

<<星野まどかさんと石田さん>>
「父は新しいものを取り入れるのが好きでしたので」
「日本中の石を探して」
「お父様ご自身で?」
「それが2010年ぐらい」

食器を開発したのはまどかさんの父、4代目の大橋厚男さん・・。

かつて「卸売り」が中心だった大橋洋食器。
しかし時代とともにビジネスの環境が変化。
厳しい競争の中で売り上げは低迷しました。

そこで、厚男さんが力を注いだのが、「オリジナル商品」の開発だったのです。
目をつけたのが石巻市雄勝地区で採れる「雄勝石」。
この石で作ったプレートは料理を引き立たせ、温度も適した状態でキープできるといいます。

<<星野まどかさんと石田さん>>
「冷蔵庫で冷やすといつまでも冷たいので、アイスクリーム乗せても溶けない」
「そうなんですね、すごい」
「やっと見つけたのが宮城県の石巻市にある雄勝町の石になります」
「製硯所にお願いして習字のすずりではなくてこういう食器を作ってもらえないかということで…」

現地の職人たちと綿密な打ち合わせを重ね本格的な生産を始めようという時でした。

“2011年 東日本大震災”
沿岸部の石巻市は巨大な津波に襲われ、3000人を超える人が犠牲になりました。
すずり石の工場とは地震の直後から連絡がとれなくなっていました。
さらに、その2か月後・・。

<<星野まどかさん>>
「震災が起きた直後の頃に、父が病気が見つかりまして…」

厚男さんを襲ったガン。

すでに骨に転移し、告げられた余命は1年。
希望の灯が消えかけていたその時・・。
ある知らせが飛び込んできました。

石巻で「すずり石プレート」の生産を再開したいというのです。

まどかさんはすぐに現地へ駆け付けました。

<<星野まどかさん>>
「役所のようなところ、そこも全部、泥だらけなんですけど、そこの1階をブルーシートを敷いて、すずりを拾い上げたのをそこに全部並べて…」
津波で工場は流され、加工前の原石や大型の機械、そして職人の命までもが失われていました。
それでも・・。

<<星野まどかさんと石田さん>>
「何人か亡くなりましたけど、つくりたいと思っているから待ってほしいと」
「大変の中でも仕事というかものづくりを続けようという意思を持たれてやられている」
「そうですね、立て直したいという思いで職人さんも社長さんもいたので、なんとか力になりたいと私たちも思いました」

被災地から届いた思い・・。
すると、すでに病床にいた厚男さんは・・。

<<星野まどかさんと石田さん>>
「スケッチブック持ってきてくれと病院に届けましたね」
「これをデザインするためですか」
「そうですね」
「ものを作ろうとしている姿はすごい生き生きしていたので楽しそうで、応援したかったですね…」
オリジナル商品の開発に命を燃やした厚男さん。
地震発生から1年余りの2012年4月。
58年の生涯に幕を閉じました。

父が開発した食器。
まどかさんは「すずり石プレート絆」と名付けました。

<<星野まどかさん>>
「私たちと宮城県石巻の工場をつなぐものという意味もありますし、私たちと社長をつなぐもの という意味でもつけました。忘れたくなかったので『絆』という名前がいいだろうと。復興が進んできている今も、なお売れています。それはやっぱり美しいからだと思います」
新潟駅前のビルの中にあるレストラン・・。

パティシエの塚本夏輝さんはデザートだけのコース料理を手掛けています。
使う皿はすべてが大橋洋食器の器・・。

<<石田さんと塚本さん>>
「塚本さんはイメージがあったのですか、こういうもの作るからこういうお皿があったらいいなと」
「最初にお皿をみてこういうのをつくりたいなと」
「そっちなんですね」
「おお、すごい」
「完成しました」
「ありがとうございます」
「すごいかわいいですね」
きらびやかな「デザートの皿盛り」。

先進的な器がその色彩を一層盛り立てます。

<<石田さんと塚本さん>>
「でこちらが?」
「キャラメルのアイスと…」
「おいしい、洋梨で何かお皿をデザートをつくるとイメージされていて、そこにキャラメルが合うなとかどんどん組み合わさっていった」
「はい、そうです」
「最初ホテルで勤めていたんですけど、ひとつだけ違うんですよ、大橋洋食器のだけ」
「お皿をつくるときの思いというのも聞くようになってから、こういう思いでこのデザートは
盛ってみようかなと考えたりするようになりました」

料理を乗せる器・・。
1枚1枚にそれぞれの物語があります。
<<星野まどかさん>>
「お願いしている窯元さんがすごく高齢なんですけれど、私たちの会社と取り引きをすることになって、販売額が安定するようになったから息子さんが継いでくれることになったそうで、少しでも
そういう風に伝統をつなげていけてるなと思って、その器をまたこのように素敵に使っていただけて本当にありがたいです」

ことしで創業140年を迎える大橋洋食器。
現在はまどかさんの夫、星野太志社長が経営を担っています。

新潟の魅力や伝統工芸を食器に取り入れ、大手ホテルなどに販路を広げています。

<<星野太志社長>>
「日本にはこういう素晴らしいものづくりがあるんだと海外の方が知っていただいてその方たちが実際にこの産地、作っている場に訪れてその地域がインバウンドで盛り上がる、この輪を私たちはつくっていく食器を通して、そういう役割を担っていきたい」
食器を通して新潟の伝統、そして日本の文化を次の世代につなぐ・・。

<<石田さんと星野まどかさん>>
「創業家に生まれて代々引き継いでいくということの葛藤、やりがいは感じられていますか?」
「大変なことの方が90パーセントくらいあるんですけど、長く続いているからっていいことばかりじゃありませんですし、時代の流れとともに飲食店の方と同じように苦しんでいるときもありますし、ですけれど私たちのお出ししている商品を楽しんでもらえる、そしてお仕事を頼んでいただけるということが、なによりのやりがいですね」

4代目・大橋厚男さんが大切にしていた言葉があります。

「一番古くて一番新しい」。

<<星野まどかさん>>
「一つのものをずっと変わらず売っていくことは難しい、需要が変わりますから。でも私たちが
大切に思っている以上は何かしらの形で売り方を変えてでも続けていきたい」
古くからの伝統を大切にしつつ、世の中の動きに敏感に反応する・・。
高みを目指す精神はいまも引き継がれています。

【 石田さん語り】
「新潟で140年続く洋食器店、その歩みは常に課題に直面してきました。地域経済の変化、外食産業の変化、そして食文化の変化…その困難を乗り越えるために、伝統を重視しつつ、なにか新しいことに挑戦する、自らがランプの企業だった、そして食器の卸しだったところから自らが新しい独創的な先進的なデザインをつくる企業に、そういった形で変化を起こすこと革新を起こすことによってその課題を乗り越えてきた歴史があるわけです。伝統の中から生まれる変化、革新、そういったDNAを持ち続けることが日本のものづくり、そして地域経済が活性化していくための大きなヒントになるのかもしれません」

テーブルで輝きを放つ食器。
その在り方が変わってもつながれてきた伝統は変わらない。

わたしたちの街には可能性がある。
それは、まだ多くの人が知らない分野でも・・。
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