『今日から、君の職業は、正式に”役者”だよ』
そう言われた、あの日から・・・
あの”只者ではない演出家”は、
カサハラ青年にとって”社長”となった。
そう、ついにカサハラ青年は念願の
”芸能事務所”に所属することが出来たのだ。
その後、
”プロフィール用”の写真を撮影し、
事務所からも色々な
オーディションにプロフィールを送ってもらい、
”人生初めての撮影”も無事に終了。
そして、幼馴染の役者
”タカモン”からも素晴らしい刺激を受けることができた。
するとそんなさなか・・
事務所の社長から役者としての幅を広げるよう、
”リアル演技”と対極にある”究極の表現演技”を身に着けるため、
日本中の小学校を旅回りする劇団へ
入ることを勧められ
苦手な”歌唱・ダンス”審査に
挑戦するのだった・・・
審査員
「はい、じゃあ、歌唱審査を行いますので、音源をこちらにお願いします」
カサハラ
「音源は・・ありません!」
審査員
「え?」
カサハラ
「はい!アカペラで歌います!」
審査員
「アカペラで!?」
カサハラ
「はい!そして、踊りながら歌います!」
審査員
「踊りながら!?」
カサハラ
「はい!歌唱とダンスの両方を合わせてやります!」
審査員
「ほ、ほう・・では、披露する楽曲は何ですか?」
カサハラ
「披露するのは、僕の地元の民謡・・”干拓音頭”です!」
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”干拓音頭”
それは僕の地元、
”新潟県紫雲寺町(現新発田市)”で・・
昔から歌い踊り伝えられている伝統の民謡。
昔、紫雲寺町の大部分は
大きな潟(湖のような)で占められ、
それは”紫雲寺潟”と呼ばれていた。
その紫雲寺潟は、大雨のたびに氾濫を繰り返し・・・
幾度となく町全体は多大なる被害を受け続けてきた。
そんなとき、江戸の商人である
竹前権兵衛・小八郎(兄弟)が紫雲寺に来訪し、
紫雲寺潟の”大開拓”に着手。
長年に渡る工事の末、
紫雲寺潟のあった場所には新田が開発され、
町には平和と繁栄が訪れた・・
という歴史があり、
それを後世へ伝え続けていくために作られたのが
”干拓音頭”なのだ。
(※個人的な簡易説明)