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<14>『テレビに出る人』になりたくて【その10】~ EXILEっぽい男 ~ | 新発田出身カサハラケントの 【コラムって何書けばいいんですか?】

カサハラケント

2022.07.28

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これまで【完全非公開】だった、私、カサハラケントの俳優人生の裏側を赤裸々につづります。 準特待生として養成所に入所したカサハラ青年。この養成所には、「10月」と「2月」に、100社以上の芸能事務所の方の前で公開オーディションが開催されるという大チャンスがある。しかし、10月と2月の公開オーディション、参加できるのはどちらか一回のみ。10月に参加できるのは養成所からGOサインの出た、いわゆる”認められたメンバー”。そして2月に参加できるのはいわゆる”残り組”。そのどちらに振り分けられるかが決まるのは、7月と9月に開催される”定期審査会”の順位次第。”10月組”の定員はおよそ20名。つまり7月と9月の定期審査会で20位以内に入らなければ、”10月組”に入ることは難しくなる。しかし、迎えた7月の定期審査会。カサハラ青年の順位は”40位”。 10月組に選ばれるためには、9月の定期審査会で挽回するしかない。熱海になんて行ってる場合じゃなかったのだ・・・

前回までのあらすじ



準特待生として、
養成所に入所したカサハラ青年。


この養成所には、「10月」と「2月」に、
100社以上の芸能事務所の方の前で

公開オーディションが開催されるという
大チャンスがある。


しかし、10月と2月の公開オーディション、
参加できるのはどちらか一回のみ。


ちなみに10月に参加できるのは・・

養成所からGOサインの出た、
いわゆる”認められたメンバー”。


そして、2月に参加できるのは・・

いわゆる”残り組”。



そのどちらに振り分けられるかが決まるのは、
7月と9月に開催される”定期審査会”の順位次第。


”10月組”の定員はおよそ20名(80名中)。


つまり7月と9月の定期審査会で
20位以内に入らなければ、・・・

”10月組”に入ることは難しくなる。



しかし、迎えた7月の定期審査会。


カサハラ青年の順位は、
まさかの”40位”。


10月組に選ばれるためには、
9月の定期審査会で挽回するしかない。



熱海になんて、行ってる場合じゃなかったのだ・・・


【※前回のコラムはコチラ↓↓↓】

分析開始

「熱海になんて、行ってる場合じゃねぇ・・・」



僕は、40位(80人中)という結果に唖然とした。



「あんなに必死に練習したのに・・・」




何が悪かったのか・・

何が評価されなかったのか・・



このままでは、
「10月オーディション組(“認められた組”)」の
上位20人に選ばれるのは絶望的。




このショックは図り知れないものだったが、
落ち込んでいる暇はない。


僕はすぐさま、
敗因を分析してみることにした。



審査会では、
全員のパフォーマンスがビデオに録画されており、

審査会明けのレッスンでは、
それ見てまず“反省会”が行われることとなる。




僕は、そこで自分のパフォーマンスの
反省はもちろんのこと・・


上位に名を連ねたメンバーの
パフォーマンスや特徴を分析することにした。


録画された映像を見てみると・・・



「やはり上位陣のパフォーマンスレベルは、かなり高い。
歌唱力はもちろんのこと、表現力も素晴らしい。」




「でも個人的には、
僕もそう劣っているとは感じない・・・」




「40位の僕と、上位陣ではいったい何が違うのだろうか?」




僕は、分析を続けると・・・・




“ひとつ”の大きな要因を見つけることができた。



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カサハラケント
カサハラケント (笠原賢人) 1988年5月17日生まれ 新潟県新発田市(旧紫雲寺町)出身 2011年、大学を卒業後、 役者・絵描き・クリエイター活動を開始。 役者としては、 主に舞台(40本以上)やCM等で活動。 絵描き・クリエイターとしては、 個人や企業・行政から依頼多数。 横浜の商業施設でのグッズ販売に、 ZeppTokyoで開催されたファッションイベントでは 自身作成のロゴがメイン採用。 2019年には、 地元新発田市の図書館で個展も開催。 また、2018年からは 新発田市と共同でプロモーションムービーを制作。 2021年に高校生とともに企画・制作したCMは 「新潟ふるさとCM大賞」で準グランプリを獲得。 その他にも、 舞台やコントライブの脚本や、 人気バンドユニットの小道具制作など 幅広くクリエイター活動を展開。 将来の夢は、 「新発田で映画を撮る」こと。 そして、全国の人に 「新発田」を「しばた」と 読んでもらえるようになること。