10月の中旬に
この「公募」の話を聞いて
それからの日々は
瞬く間に過ぎていった。
いくつか仕事を抱えながら
昼夜机に向かって作業をしている間も
新しい「校章」「校歌」の件は
頭の片隅から離れることはなかった。
しかし、それを・・・
実際に“制作”に移していける
状態には全くならなかった。
その理由は、一つ。
“怖かった”からだ。
一度「校章のデザイン」を
自分の手で描いてみて・・・
一度「校歌の歌詞」を
ノートに書き連ねてみて・・・
その“かき出したモノ”を
改めて自分の目で見直したときに
もし何か少しでも
”違和感”を感じてしまったら・・・
再度、着手する気持ちには
なれないかもしれない・・・
そう思ってしまったからだ。
こんなことは
今まで一度もなかった。
「何かを作るとき」
それは絵であったり
文章であったり、動画であったり・・・
何かを作るとき僕は必ず
何度も何度も修正をして・・
少しずつ
「完成」に近づけていった。
時には・・
誰かにアドバイスを貰って
客観的な視点も加えて完成度をあげていき
形にしてきた。
しかし・・・
今回は自分の中にある
いろいろな”経験”や”想い”
それらの”感覚”に従順なものを
他から何も手を加えずに作りたい。
そう思った。
そしてそれは、
他者からのアドバイスを取り入れたくない
ということだけではない。
自分自身に対しても、同じなのだ。
一度、描いてしまったら・・
一度、書いてしまったら・・
きっと、“翌日の自分”が、
修正を加えたくなってしまう。
それは、これまでの
色んなものの制作過程と同様。
「少しでも完成度を上げていきたい」
「納得できるものを作り上げたい」
そういう想いから、
修正を加えたくなるのだ。
しかし・・・
その修正は、
“感覚”的なものとはならない。
一度冷静になり、
客観的に捉えてしまうことで・・
一般的なデザイン上での
”良し・悪し”を物差しにした修正や・・・
語呂の良さや全体的なバランスなど
一般的な歌詞の構成を参考にした修正と・・
きっと
大切な”感覚”を塗り消して
“形式的な修正”を施してしまうかもしれないからだ。
「考えれば考えるほど、しんどすぎる・・・」
今回の件は本当に
とても難しくて・・・
とても苦しいものだった。