カサハラケント
2023.03.30
あの日、父親から教えてもらった「紫雲寺地区3つの小学校の統合」そして統合後の新しい小学校の「校章」と「校歌」の公募という話。それは、2005年の「平成の大合併」で故郷の『紫雲寺町』がなくなった時のことを鮮明に思い出させた。あの時の「寂しさ」「虚しさ」というものは、やはり今でも忘れることが出来ない。そして、今回の『3つの小学校の統合』で、僕の母校である「紫雲寺小学校」は、学校名と校舎が引き続き残ることとなった。そう、これは、2005年の大合併で合併後に残ることとなった「新発田市側の立場」と一緒。「なくなる立場」そして「のこる立場」その両方の立場を知る僕だからこそ、今回“統合される”「米子地区」「藤塚地区」に暮らす方々、そして、その地区で小学校時代を過ごした方々の気持ちというものは、痛いくらいに分かる、分かるからこそ、新しい「校章」と「校歌」の公募という今回の話が、どれほど「繊細」で「重大」なものか、それも重々理解しているつもりである。だからこそ、安易な気持ちで今回の「制作」を進めることが出来ない。いや、安易に進めてはならないのだ。それこそが僕にとって、“過去最大級の挑戦”となったのだ。