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【上京秘話】「機動戦士ガンダム ジークアクス」鶴巻和哉監督(五泉市出身)単独インタビュー③アニメーターになった"きっかけ"

インタビュー記事

2025.09.02

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サンライズ×スタジオカラーという異例のタッグで、放送開始直後から大きなムーブメントを巻き起こした「機動戦士ガンダム ジークアクス」。新潟県五泉市出身の鶴巻監督が、TeNYのインタビューに制作のウラガワ、そして今だから言える高校時代のエピソード、アニメーターになったきっかけを、こっそり教えてくれました!

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【鶴巻和哉】
新潟県五泉市出身。日本を代表するアニメ監督、アニメーターの一人。株式会社カラー取締役。
監督作に「フリクリ」「トップをねらえ2!」「龍の歯医者」など。
庵野秀明監督の「新世紀エヴァンゲリオン」で副監督を務め、「ヱヴァンゲリヲン新劇場版」でも監督として総監督・庵野秀明を補佐。
2021年公開の「シン・エヴァンゲリオン劇場版」では監督を務めた。
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鶴巻監督の原風景は“五泉市の田んぼ”

――鶴巻監督の原風景とは?
【鶴巻監督】
五泉市の田んぼの真ん中で生まれ育って。僕が住んでいたところは、どっちかって言うと、山なんですね。
【鶴巻監督】
旧新津市との境界に山があって、低い山ですけど、その山のすそ野のあたりに友達がたくさん住んでいて、僕の家はちょっと離れていた。
田んぼの真ん中辺りにあって、通学する時とか、田んぼの真ん中を何キロもずっと歩くところだったので、人格形成にも影響を与えているんじゃないかな、と思います。具体的にどこがどうか、と言われると分からないけど…。

「部活ズル休みして」ガンダムを見た中学生時代

――その頃からアニメに興味はあった?
【鶴巻監督】
アニメの仕事に就こうとは思っていなかったけど、普通に。そんなにガツガツとオタクっぽい活動してたわけじゃなくて、普通にみんなと同じように。子供時代に見るアニメとして見ていた感じじゃないかな。
――当時は新潟ではアニメ情報も遅れて入ってくる中で、どうやって情報を得ていたんですか?
【鶴巻監督】
そう!ガンダムも1年遅れの放送なんですよ。まるまる1年遅れ放送で。
なので僕は『アニメージュ』というアニメ雑誌でガンダムのオチまで知っているというか(笑)
雑誌で紹介されていたし、各話のエピソードが載っていたので。そういう状態で新潟で放送が始まった感じだった。
アニメを見る前にストーリーは知っていたし、キャラクターもある程度知ってたみたいな状態だったかな。
【鶴巻監督】
記事を読む限り面白そうだったし、見たいと思っていたけど…ちょうど放送が始まった年から中学校に上がって、部活動で見られないんですよね。夕方ぐらいの放送だと。
でも、1話だけはどうしても見たい!と思って、部活ズル休みして見てましたね(笑)
テレビ放送はほとんど見ていなくて、その後の総集編で作られた、劇場3部作でちゃんとガンダムを見た。
テレビシリーズを全部見たのはもっと後、大人になってからでしたね。

今だから言える!ガンダムを見るために「部活ズル休み」!?

――絵を描くのが好きだった?
【鶴巻監督】
高校は「五泉高校」だったんですけど、そこは結構オタクがたくさんいて。
しかも自分よりも全然知識を持っているオタクがいたので、その人たちとずっと喋ったり、家に入り浸ったりとかして、オタクの知識をそこでガツガツ得てて…って感じでしたね。
――アニメーターになった経緯は?
【鶴巻監督】
絵を描く仕事に就きたいと思っていたんだけど、とは言っても漫画家になったり、イラストレーターになったりするほどの…ちょっと、その、才能もないかな、と思っていて。でもアニメーターは1枚描くと100円とかもらえる。当時のお金で、ですね。今はもうちょっと高いですけどね。100円とか120円とかもらえることは分かっていて、それなら全く稼げないことはない、と思って。

暮らせるほど稼げるか分からないけど、一文も稼げないってことはないな、と思ったので、アニメーターなら一応、端っこにしがみ付けるんじゃないかな、と思っていたので、アニメーターになろうと東京に出てきた…って感じですね。

上京して知った故郷のコメの美味しさ

――新潟の印象は
【鶴巻監督】
僕の中ではやっぱり今でも、新潟は40年前、上京する前の印象のままなんですよね。そういうノスタルジーと共にある感じがあって。今の新潟とはもうだいぶ違うんだろうなー、と思っちゃいますね。
だからたまに帰ると、五泉の駅前とかも全然さびれてて…なんか寂しく思うのはありますね。

僕がいた頃は、例えば秋祭りとか春祭りとかも、屋台が並んで賑やかだったんだけど、今こんな状態じゃ、祭り自体ちゃんと行われてんのかな…と思うくらいな感じだから。
――新潟で好きなものは?
【鶴巻監督】
やっぱ白米が美味しかったんだな、っていうのは、後になって思うんですよね。当時は当たり前だから、特別なものだと思ってないから。

東京に出てきて、スーパーとかで売ってる米を買って食うと、「うーん…」みたいな感じで。それで今は、五泉の農家と直接契約して、送ってもらっています。水も美味しかったんですよね。僕の奥さんが「あそこの水でご飯炊いたら、何だって美味しくなるよ」みたいな話をしてて。
多分お米も良いし、当然水も良い。水も良いからこそ、良いお米が育つと思う。
―――単独インタビュー④に続く
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