僕
「え?今のシーンって、これ?」
僕は驚愕を受けた。今のシーンはなんと・・・
台本の冒頭
1ページ目に書かれていた・・
「8人の容疑者は、暗闇の一室に閉じ込められている。」
という、
”たった一行のト書き”の部分だったのだ。
(※ト書き:台本に書かれた、セリフ以外の上演するために必要な登場人物の動作や行動、心情などを指示した文章)
僕
「え!?このたった一行のト書きの稽古に・・・
20分近くも使ったってこと!?」
ヒノ君
「うん、そう思う」
僕
「な、なんて稽古なんだ・・」
僕は、驚きと恐怖で、
初日の稽古冒頭にして、早速帰りたくなった。
しかし・・
ヒノ君
「でも、おもろ過ぎるよね。これ・・・きっと演出家の求める“リアリティ”が、今の稽古に詰まってるんやと思う。俺も早く、この稽古に参加したい・・」
僕
「う、嘘やろ・・?」
僕とは対照的に、
ヒノ君はこれから訪れるでろう大恐怖に対して、
目をバリバリに輝かせていた。
そして、ヒノ君は続ける。
ヒノ君
「あと、俺が考えるに、きっとオーディション組の誰かも
あの容疑者の8人に抜擢されると思う」
僕
「え?なんで?!」
ヒノ君
「そりゃ、あれだけの審査を重ねて選びぬかれた、いわば“演出家好み”の5人な訳やから、今回の舞台も、きっと良い配役を与えられると思う」
僕
「ほ、ほう・・」
なるほど・・
それは一理あるけど・・
ヒノ君
「それに、あのストレッチレディや。あの人はオーディションの時からずっとスタッフだった訳やし、今の冒頭の稽古も“代役”として入っていたに違いないで」
僕
「だ、代役なんてあるの・・・?」
すべてが初めてなことばかり。
代役と言うものが立てられること自体、
僕には想像しえない状況だった。
僕
「な、なるほど・・さすがヒノ君だね」
ヒノ君
「まぁ、それなりに舞台経験あるからな」
確かに、
ヒノ君の実力を持ってすれば、
この8人の容疑者役に、
ヒノ君が抜擢されてもおかしくはない・・・
僕
「さすがやで、ヒノ君・・」
ヒノ君の考察に
僕は心底納得することができた。
そして、休憩後。
同じように容疑者役の
8人はパイプ椅子に座り・・
再度、演出家から
淡々と同じ状況説明がされると・・
「パンっ!」
冒頭の
”たった一行のト書き”
のシーンの稽古が再び開始された。
そして・・
2回目はおよそ15分ほどで、
電気のスイッチが押されて終了。
同じ状況下でのお芝居であったが・・
1回目と2回目では
それぞれが発する声、音、様子など・・
そのすべてが、全く異なっていた。
この“ト書きのシーン”は
セリフもなければ、特に動きの指示もない・・
つまり、
完全アドリブでその場の空気を、
嗅いで、味わって、感じ取って、
みながリアルに演じている。
ここに、オーディション時と同じ
「リアリティ」の追求というモノを
2回目の見学にして、
ヒノ君と同様
僕も少なからず
感じ取ることが出来た。
「こんな凄まじい演技・・
たった数回の稽古で到底身に着くようなものではない・・」
僕は改めて・・
果てのない、8人の演技レベルの高さに
脱帽するしかできなかった。
すると・・
演出家
「はい、10分休憩します。
その後、もう一回、同じシーンをやるので準備しておいてください。」
「・・・・・え!?嘘やろ!?もう一回やるの!?」
この演出家、容赦ない。
容疑者役の8人は、
疲労困憊と言う感じですでにぐったりしている。
稽古開始前の、
和気あいあいとした雰囲気は
もうすでにこの稽古場から消え去っていた。