5人が
「沈没しかけている豪華客船の中にいる人」
の演技を開始してから数分後・・
「パン!(手の音)
はい、ありがとうございます。これで以上になります。お疲れ様でした。」
そう演出家が言うと・・
5人はそれぞれに
「ありがとうございました。失礼します」
と一言残し、
階段を上って帰っていった。
「なんだろう、この無機質な感じは・・・
流れ作業と言うか、これが・・
ガチのオーディションというものか・・・?」
僕は今まで「素人」だけが
参加するオーディションや
養成所の“勝負のオーディション”も
「まだ現場を経験していない生徒」
だけが参加するような
そんなオーディションしか、
経験してこなかった。
その時は、審査員や、
スタッフさんからもほんのりと
「優しさ」や「温かさ」という空気を
感じることができたのだが・・
今回は、全く違う。
審査する方からも、
審査される方からも・・
“緩さ”というものが
微塵も感じられない。
「これが・・
本物のオーディションなのか・・」
僕はその様子を前にして、
全身が震えあがった。
その震えは”武者震い”のような
カッコいいものではない。
完全にビビりから来るそれだった。
もはやこの場で”コレ”を使った特技なんて、
披露して良いのだろうか・・・
皆がダンスや歌など
演技とリンクする部分の多い
”特技”を披露する中、
僕が用意できる特技は、
完全に遊びの延長線そのもの。
オーディション直前に思いついた
”逆転の一手”さえも、
もはやこの場では
無力なものかもしれない・・・
そう思った。
でも・・
やらぬ後悔よりも、
やって後悔する方がいい。
このオーディションが
僕にとって“最後のチャンス”なのだから・・・
当たって砕けるしかない!!
「気持ちだけは絶対に負けない」
そう思いながら、
ついにオーディションは“僕の組”の番になった。
僕の組は、
76~80番の5人が揃う。
そう、僕はこの組で
1番最初の出番となるのだ。
演出家
「では、左の方から、順番に自己紹介をしてください。」
僕
「は・・はい!」
僕は、演出家の人と目が合う。
今にも、その不気味な
眼球の中に吸い込まれそうになる。
演出家
「どうしたの?」
僕
「あ、いえ・・なんでもありません!
エントリーナンバー76番、カサハラケントです!
先日23歳になったばかりです!」
このオーディションの先日、
僕は23歳の誕生日を迎えていた。
演出家
「それはおめでとう。」
僕
「あ、ありがとうございます!」
演出家
「続けて」
僕
「あ、はい!えーっと、新潟県出身で、
趣味は一人旅。特技は・・・・」
ここからが勝負だ・・
僕は、
ポケットの中に忍ばせた“ソレ”を
ギュッと握りしめて・・
演出家
「特技は、何だい?」
僕
「特技は・・・
”トランプマジック”です!」
演出家
「ほう。ここで、マジックできたりするの?」
僕
「は、はい、もちろんです!」
そう言い、僕はポケットから
”トランプ”を取り出した。
そう。
僕の”逆転の一手”は・・・
“トランプマジック”なのだ。